
高校卒業してスグに窯元に弟子入りしたのが陶芸の始まり・・・
陶芸家の先生になって出世する気はさらさらなく、
暮らしに役立つ工芸で生きてゆければ素晴らしいといった考え。
倉敷は民芸といわれる工芸運動のメッカであり、
その理念に傾倒していたから。
仕事場に寝起きして、自炊して、僅かの給料をいただき、
仕事は教わるものでなく、見て盗めといった感じ。
で、この抹茶碗ですが・・・
湯呑や皿などの雑器ばかり作っていた窯元でしたが、
師匠は抹茶碗を少しだけ作っていました。
始めて体験した登り窯の窯出しで、30個くらいの中から、
1つあげるので自分で選ぶように申されました。
萩焼のような柔らかい肌合いが多い中、
強く焼けてグリーンっぽいものを選びました。
以後、飯碗として毎日のように使って4年間・・・
貫入(小さなヒビ)、カイラギ(高台脇の穴ポコ)あたりが、
良い色になりました。
沖縄にも持参して、のち広島に持帰り、現存していますが、
隠れ糖尿の身には、炭水化物はNGですので、もう飯碗には使えません。


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