■■ 風炎窯の営業日のお知らせ ■■


   ● 工房アクセス   ● バス時刻表   ● 今日の天気   ● 陶芸教室(予約制)   ● DM請求

2010年11月23日

たたら製鉄のワークショップ その2

ginzan01.jpg

雲南市吉田で行われた「たたら製鉄のワークショップ」を見学させてもらいましたところ、
次は「小たたら製鉄のワークショップ」があるそうですので、
手伝いをさせてもらうことになりました。

で、この時に同時開催されるシンポジウムが石見銀山とのコラボなのです。

世界遺産に登録されて、
人が多すぎるとか、道や駐車場が混むとか、山の中を結構歩くとか、価値が解らんとか、
イロイロな噂を聞いておりました。

で、ナカナカ行けないでおりましたが本日見学してまいりました。

産業遺産の価値がブチクソ解った気がしますが、
それより素晴らしいボランティアガイドさんとの出会いに感動しています。

つづく・・・

広島ブログ
広島ブログ・ランキング参加中!クリックしてつか〜さい!
posted by fuuen at 22:36| Comment(0) | TrackBack(0) | モノツクリの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年11月13日

たたら製鉄のワークショップ

tatara01.jpg

12・13日と「たたら製鉄」のワークショップに飛入参加してきました。
http://www.tetsunorekishimura.jp/

島根県雲南市「鉄の歴史村」主催
膨大な写真撮影、フォーラム参加&資料、博物館見学などブチクソ濃厚な経験でした。

で、出雲地方から見た「太田川流域のたたら製鉄」の特徴が見えてきました。

う〜ん

モノツクリの歴史をテーマとしたBLOGを作ろうかと思案中・・・

広島ブログ
広島ブログ・ランキング参加中!クリックしてつか〜さい!
posted by fuuen at 21:53| Comment(0) | TrackBack(0) | モノツクリの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月26日

カナクソ その2

kanakuso03.jpg

芸北地方のたたら製鉄の過程が絵巻として残っています。
加計隅屋鉄山絵巻 (加計正弘氏所蔵)

マサ土の炉に砂鉄と木炭を交互に投入し、
フイゴで強制的に空気を送り、高温にして鉄を溶かし、炉を割る。

言葉にすれば簡単ですが過酷な労働であったことでしょう。

炉の下の穴から流れ出ているのがノロといわれる不純物であり、
炉土と鉄の溶け合ったところなども不純物であり、
たたら場のそばにゴミとして捨てられていました。

kanakuso04.jpg

昨年のワークショップでカナクソ探しをいたしましたが、
これらが川に流れて風化してゆくと小石のように丸くなる。

tatara6.jpg


PS
帝国製鉄(国営ではありません)
http://tonbi0.tripod.com/teikoku.htm

旧加計町の川・森・文化・交流センター(太田川クラフトフェスタ会場)のあるところに、
小学生の頃の記憶ですが、レンガ煙突の廃墟がありました。

文明開化の国策として生産性の高い西洋鉄が主流になっても、
和鉄の良さを再認識して、カナクソを再び溶かしてリサイクルしていたとか・・・

う〜ん

ワシがこれからカナクソを陶器にリサイクルする意味は何じゃろか?

広島ブログ
広島ブログ・ランキング参加中!クリックしてつか〜さい!
posted by fuuen at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | モノツクリの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月30日

芦屋釜

asiya01.jpg

asiya04.jpg

芦屋釜の里

福岡県遠賀川河口の芦屋町では、鎌倉から室町時代に茶釜が生産されていたらしく、
国宝級の伝世品が僅かに残っています。

途絶えた工芸品の復興を目的とした施設がありましたので見学しました。

製作中の工房も見学できるうえに、
茶室と日本庭園が整備され芦屋釜で沸かした抹茶もいただけました。

asiya03.jpg

太田川のモノツクリ産業の源流はタタラ製鉄と鋳物であり、
原料は上流域から運ばれていました。

遠賀川の場合、砂鉄や粘土は河口や海浜に自然堆積していたようです。

こちらの砂鉄はチタンの含有量が多く、薄くて軽い茶釜ができたそうですが、
イロイロと謎も多くて興味深いですね。

asiya02.jpg

↑↑「こしきろ」という鋳物炉

広島ブログ
広島ブログ・ランキング参加中!クリックしてつか〜さい!
posted by fuuen at 17:25| Comment(0) | TrackBack(0) | モノツクリの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月20日

産業遺産

tagawa01.jpg

tagawa02.jpg

筑豊には昨年も訪れています。

「青春の門」で有名になった香春岳は良質な石灰石を産出しており、
巨大なプラントが駆動中です。

エコやグリーンツーリズムの視点からすれば悪者のようでもありますが、
巨大な産業構造物とみれば胸を打つものがあります。

倉敷の水島コンビーナートの夜間操業を、
海から眺めるナイトクルージングも人気のようですね。

当地のカタチの変わってしまった香春岳と巨大プラントも何か出来そうな予感・・・

tagawa03.jpg tagawa04.jpg

tagawa06.jpg tagawa07.jpg

田川の石炭資料館にも訪れましたが残念ながら休館日で、
石炭長屋・ヤグラ・機械・ボイラー煙突などの野外展示がされていました。

炭鉱はガス爆発や落盤事故、過酷な労働を統制するための財閥とヤクザの絡み、
石炭から石油エネルギーに急転換された歪みなど・・・

日本の産業革命を担った土地柄ですが、
いまだにイロイロ問題を抱えているようで人間クサイ感じがいたします。

PS
明治時代にエネルギーが木炭から石炭に急転換されて八幡製鉄が操業され、
中国山地のたたら製鉄の労働者の多くが筑豊に流れました。

スペースワールドや門司港レトロの背景にはこのような歴史があるのです。

PS2
最近、長崎の軍艦島の見学ができるようになったらしいのです。
http://www.youtube.com/watch?v=rnwfXH6jMUo
http://www.youtube.com/watch?v=mscRp2pH3Qs

広島ブログ
広島ブログ・ランキング参加中!クリックしてつか〜さい!
posted by fuuen at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | モノツクリの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月21日

ちゃんぷるー♪

tyan1.jpg

昨夜、季節はずれのゴーヤチャンプルーを食べたせいか、
今日、沖縄で活躍している陶芸家から電話がありました。

「ちゃんぷるー」とうい沖縄マガジンの編集長を紹介してくださり、
直接、琉球古典焼についての話が聞けました。
http://www.champroo.jp/index.html

大正時代、困窮していた壷屋焼の再生に、
奈良の骨董商が大きく関わっていた事実が明らかになるにつれ、
注目されているのが琉球古典焼なのです。

デカダン趣味な装飾過多な陶器ですが、
トロピカルな風土のなかでしか生まれない人間臭さがあります。

地域の疲弊を打破するのは外の力であり、
頑張った人が評価されないという、今でもありがちな構図が見え隠れしている。

近日、新しい図録が出版されるそうですので楽しみです。

tyan2.jpg

アチラコチラの文化がチャンプルーして、
独特の文化が育っている沖縄ですが、今もなおチャンプルーしながら進化しているのです。

PS
今夜の夕食は「パパヤーチャンプルー」でパパイヤの炒め物でした。

tyan3.jpg

広島ブログ
広島ブログ・ランキング参加中!クリックしてつか〜さい!
posted by fuuen at 00:18| Comment(0) | TrackBack(0) | モノツクリの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月27日

石垣

isigaki3.jpg

isigaki5.jpg

たたら製鉄跡の見学の前に、
同じ北広島町にある吉川元春館にも立ち寄りました。

吉川元春の隠居所として作り始めたようですが、
乱世の時代にイロイロとあったようです。

詳しくは↓↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B7%9D%E5%85%83%E6%98%A5%E9%A4%A8

isigaki4.jpg

圧巻は石垣でした。
これだけ眺めているとインカの遺跡や首里王家の玉陵にも見えてきました。

地震対策なのでしょうか、
強固な石組がされており当時の土木技術が垣間見れます。

宮島にも同じ構造の石垣があるようですし、
岩国の初代領主の吉川広家は元春の三男であります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%B7%9D%E5%BA%83%E5%AE%B6

錦帯橋の当初の橋脚は太田川流域の石工集団の仕事とされていますので、
石垣の文化も興味深いものがあります。

当時を再現した台所のカマドには羽釜がありましたので、
鋳物の生活用品や農具があったということなのですね。

isigaki6.jpg isigaki7.jpg

広島ブログ
広島ブログ・ランキング参加中!クリックしてつか〜さい!
posted by fuuen at 13:38| Comment(0) | TrackBack(0) | モノツクリの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月26日

たたら製鉄跡の発掘

iseki2.jpg iseki1.jpg

北広島町溝口に中世のたたら製鉄跡が発見され、
去る11月7日(土)に現地説明会がありましたので出席いたしました。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200911060258.html

発掘した溝、焼成反応のある炉の底部、放棄されたカナクソがありましたが、
そのうち埋め戻されるそうです。

iseki3.jpg

iseki5.jpg

iseki4.jpg

北広島町&安芸太田町一帯はたたら製鉄跡が多く発見されており、
中世から江戸期にかけて一大産地でありました。

奥出雲や庄原では製鉄の歴史を観光資源として有効活用されており、
博物館も多く遺跡も保存され、観光プロジェクトとして動いています。

残念ながら、安芸太田町は静かな感じ・・・

朝鮮半島から山陰に伝わった製鉄ですが、
中国山地から山陽側に伝えた動脈は太田川であり再認識されるべきものです。

たたら製鉄に一番大切なのは燃料の木炭であり、炉にするマサ土の質、砂鉄と続く・・・
西中国山地の森林の再生力は強いものがあります。

山がハゲたら移動を繰り返していたようですね。

過去の駄文・・・
http://ww4.tiki.ne.jp/~fuuen/oyaji2/17_rekisi.htm
http://ww4.tiki.ne.jp/~fuuen/oyaji2/18_mono.htm

陶器の場合・・・
土器を穴窯で覆って高温で焼けるようになったのは古墳時代からですが、
たたら製鉄と同じようなルートで伝わったもので須恵器といいます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%88%E6%81%B5%E5%99%A8

倉敷時代に岡山県牛窓の寒風一帯の須恵器の窯跡を探検した事がありますが、
やはり山がハゲたら移動を繰り返していたようです。

ワシの場合・・・
男がハゲたら死ぬまで付き合うしかありませんが、
もし叶うなら再生したい願いはあったけど、もうどうでもよくなってしまいました。

広島ブログ
広島ブログ・ランキング参加中!クリックしてつか〜さい!
posted by fuuen at 01:50| Comment(0) | TrackBack(0) | モノツクリの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月11日

幻の琉球古典焼

「幻の琉球古典焼の展示と解説」
今週末の工房イベントの特別企画なのですが、
本日、コレクターからブツ2点を拝借してきました。

koten2.jpg

koten3.jpg

「茶の湯」も「民芸」も、その根底には無の思想があるのですが、
「琉球古典焼」は、まるで煩悩のカタマリ・・・

それは「壷屋焼」の根源であり、隠された歴史の真実なのです。

イベント当日に自宅の居間に作品や本を展示して解説いたします。

過去の駄文
http://ww4.tiki.ne.jp/~fuuen/oyaji2/19_koten.htm

広島ブログ
広島ブログ・ランキング参加中!クリックしてつか〜さい!
posted by fuuen at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モノツクリの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月28日

宮島学

67_seka2.jpg 67_seka1.jpg

本日の中国新聞朝刊の「地域学ブーム」の記事によると、
大学や研究会などが、地域の歴史文化・自然・産業・気質などを再認識しようとしてるとか。

「宮島学」
県立広島大学では公開講座や展示、学生ボランティアなどで、
自治体とタイアップしているとか・・・
さらに中国地方の教育ネットワークで情報交換をしようといている。

息長く取り組む必要があると締めくくられています。


「流れに道びかれ」
太田川のモノツクリの歴史を紹介したパンフが刷り上りました。

宮島との繋がりは、シャモジは西中国山地の木材だったり、
荘園時代の年貢がタタラ製鉄だったり、
素材が太田川の水運によって運ばれていました。

調べると宮島と太田川の関わりは、まだまだありそうですね。

先日、大学と企業と地元住民を繋いで、
タタラ製鉄の源流を訪ねるワークショップを開催しましたが、
宮島学の方々にも興味を持って頂けないかなあと思い始めました。

パンフ&ワークショップは、
太田川クラフトフェスタとして取り組んでいます。
http://www.fuuen.com/OCF/index.htm

09nagare.jpg

PS
広島カキを育てる栄養素は、豊かな西中国山地の森林の養分であり、
太田川が運んでいます。

やっぱり母なる川なのです。

広島ブログ
広島ブログ・ランキング参加中!クリックしてつか〜さい!
posted by fuuen at 20:59| Comment(0) | TrackBack(0) | モノツクリの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月14日

モノツクリのカケラ その2

tatara5.jpg tatara4.jpg

今日も勉強の日・・・

タタラ製鉄跡の地権者の方と2人での発掘アドベンチャーでした。

スコップで掘り返してカナクソの捨て場を確認し、
道端や川原で丸く風化したカナクソを拾いました。

三段峡の水梨駐車場周辺は自然の美しさに加えて、
歴史ロマンに溢れた土地なのです。

tatara7.jpg

tatara6.jpg

PS
帰りに鉄山師の旧家にお邪魔して、
かつて加計の皿山で作られたとされる磁器の碗と、陶器の酒ビンを見せていただきました。

sarayama1.jpg

新しい宿題を頂きました。

広島ブログ
広島ブログ・ランキング参加中!クリックしてつか〜さい!
posted by fuuen at 18:03| Comment(0) | TrackBack(0) | モノツクリの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月13日

モノツクリのカケラ

tatara1.jpg tatara2.jpg

今日は勉強の日・・・

タタラ製鉄の専門家にお会いしてご意見をいただきました。

江戸期の戸河内周辺は銑鉄の一大産地で、
原料の赤目砂鉄は、山陰各地から馬で運ばれ、西中国山地の森林が炭となり、
生まれたズク鉄は加計から太田川を舟で下って、可部に鋳物産業が生まれました。

「ケラ」は鉄と炭が高温で還元反応した塊で、中心部の玉鋼は日本刀などに使われ、
チタンを多く含む「ズク」は鋳物や包丁などに使われたそうです。

いわゆるカナクソは「ノロ」といわれるもので、
砂鉄に含まれる不純物が溶けだしたもので鉄分は少ないそうです。

西洋製鉄では石灰との高温反応でノロを抽出しますが、
タタラ製鉄の場合、窯の壁(マサ土)が溶けてその役目を果たしました。

イロイロと再認識させられました。

CraftArchワークショップで探検する予定地は、
タタラ場らしき跡と、建物跡の石垣と、ズクを冷やしたかもしれない池跡があり、
カナクソが埋もれていました。
http://www.fuuen.com/OCF/hijiriko/09arch.gif

ここにはブチクソ怖い毒マムシも棲んでおります。

PS
深入山周辺のR191はアジサイロードとして整備されています。

tatara3.jpg

広島ブログ
広島ブログ・ランキング参加中!クリックしてつか〜さい!
posted by fuuen at 20:30| Comment(0) | TrackBack(0) | モノツクリの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月06日

萩の反射炉

hagi1.jpg hagi2.jpg

萩でR191を走っていると「反射炉」という案内を発見!

幕末から維新にかけて長州藩は大砲の原料を調達するために、
西洋式の溶鉱炉を作ろうとしたのですが、
試験段階で頓挫したとの記録がありました。

中国山地の「たたら製鉄」は、
屋根のない炉にフイゴで空気を送り砂鉄と木炭を交互投入していました。

和鉄は高品質ですが大量生産ができません。

北九州の八幡製鉄所などで、
石炭を燃料とした西洋式製鉄に移行していったのが時代の流れです。

反射炉は屋根のある単窯の構造ですので炎が渦巻き、
長い煙突で大量の空気を引くことで、高熱を求めたのでしょうね。

カタチだけなら現代陶芸家のモニュメントのようでもありますが、
日本の産業革命の過渡期の産物なのです。

PS
近くのレストランで食べた海鮮丼はウニが小さかったです。

hagi3.jpg

広島ブログ
ナマ情報のテンコモリ!広島ブログ・ランキング参加中!
posted by fuuen at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | モノツクリの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月05日

聖湖

04.jpg 05.jpg

太田川の源流は吉和の冠山ですが、
支流の柴木川の源流は芸北の八幡湿原です。

周辺の山中にはたくさんのタタラ製鉄の跡があり、
こちらが山陰から山陽に伝わったモノツクリ文化の本流かもしれません。

聖湖(ダム湖)の底には歴史のカケラが静かに眠っているのです。

こちらでOCFの協賛企業のダイワハウス様が別荘地を展開されており、
企業として定住促進にも努力されています。

日頃から何か楽しい事が出来そうな場所だと感じています。
http://www.fuuen.com/OCF/hijiriko/index.htm

昨年から↓↓のよなツアーも夢見ております。
http://www.fuuen.com/OCF/rekisi/tuor08.htm

PS
先日のピザ会の模様を御社のブログにアップしてくださいました。
http://www3.daiwahouse.co.jp/shinrin/geihoku/

広島ブログ
ナマ情報のテンコモリ!広島ブログ・ランキング参加中!
posted by fuuen at 00:55| Comment(0) | TrackBack(0) | モノツクリの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月05日

琉球古典焼

koten1.jpg

「琉球古典焼」は、戦前の沖縄で約20年の間に作られた幻の陶芸品・・・

コレクターから新しいブツを入手したとの連絡があり、
お借りしていた本の返却もありましたので、お宅に伺いました。

奈良の骨董屋のプロデュースによって、
沖縄の壷屋の窯元で作ったアバンギャルド&デカダン趣味の派手な陶器。

古典焼といいながら・・・

↑の「魚紋壷」は焼き上がった新作にペンキなどで後彩色をしたうえ、
薬剤処理して出土品のような肌にしたアヤシイ陶器なのです。

行政などの手土産としての需要があり、海外輸出もされていたらしい。

日用品として島内の需要をまかないつつも、苦境に喘いでいた壷屋焼に、
新鮮なデザインと新たな販路を開拓した功績は大である。

う〜ん!

骨董屋らしいウソ臭さと、商売のウマさが見え隠れしているのですが、
煩悩を捨て去り、善悪をおおらかに許してしまえば、
実にオモシロイ陶器なのです。
http://koyamay.iza.ne.jp/blog/entry/308/
http://www.champroo.jp/magazine/extra01.html

地域を再生するのはヨソモノであり、多少のハッタリであり、
それは「島国JAPAN」の疲弊を脱却する道標になるかもしれない。

PS
宮島の「御砂焼」は宮島の砂を混ぜてあるので、神の御利益があるのだそうです。
風炎シーサーにも魔除けの意味が多少あるのだそうです。

チト合掌!

広島ブログ

ナマ情報のテンコモリ!広島ブログ・ランキング参加中!
posted by fuuen at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モノツクリの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月24日

雲州そろばん

soroban2.jpgsoroban1.jpg

今回の山陰の旅で一番知りたかった事は、
「雲州そろばん」と「芸州そろばん」の因果関係なのです。

雲州(奥出雲)は全国一の産地ですが、
その源流は芸州(広島)のそろばんにあり、
修理を依頼された宮大工の補修の仕事が始まりでした。

刃物やロクロに工夫を加えた事で、高品質の製品が作られました。
http://www.maruho-soroban.co.jp/unshu-hisotry.html

芸州そろばんの作者である「塩屋小八」の在所については、
広島の何処かという事で資料はありません。

古くは、安芸太田町加計もそろばんの産地でしたので、
何らかの因果関係を期待しましたが、発見できませんでした。
残念・・・

算術は古代文明に生まれ、そろばんは中国を経由してJAPANに伝わり、
商いの迅速化に貢献しましたが、電卓やパソコンに時代は移ってしまいました。

う〜ん!

いくら国が保護したとしても需要の激減はいたしかたなく、
伝統工芸品の厳しい未来を想像してしまいます。

横田駅の側に「雲州そろばん伝統産業会館」があり、
コレクション、道具、資料が展示されていましたが撮影不可でした。
機会がありましたら見てください。

PS
そろばんは、
子供の脳の発育にはいいようですが、
中年ボケの改善にも効果があるかもしれません。

されど、
これまでの人生の御破算を願いたくありません。

広島ブログ

ナマ情報のテンコモリ!広島ブログ・ランキング参加中!
posted by fuuen at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | モノツクリの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月23日

菅谷たたら

sugatani2.jpgsugatani1.jpg

昨日、県北の三次に用事がありましたので、
突如、思い立って山陰の奥出雲まで足を伸ばしました。

太田川上流域でもタタラ製鉄は盛んでしたが、構造物は不思議なほどに見当たらない・・・
旧吉田村(雲南市)に、JAPANで唯一の高殿(大規模なタタラ場)が現存しているので、
一目見たかったのです。

ネットで調べたくらいの知識はありましたし、
歴史資料館に展示された炉の模型や、展示パネルや、絵巻物も見ていました。

されど、
歴史を重ねた本物は、手を合わせたくなるほどの、凄さがありました。

ガイドの方は、地元のタタラ場を支えた村人の長男だそうで、
過酷な労働、特殊な村制度、閉ざされた暮らしぶり、リアルな実話を聞かせていただきました。

う〜ん!

奈良の大仏を見ても感動しなかったこのワシが、不思議な気持ちに包まれております。

PS
2年前、歴史に興味が涌き始めた頃のコラムを添付いたします。
http://ww4.tiki.ne.jp/~fuuen/oyaji2/17_rekisi.htm

広島ブログ
ナマ情報のテンコモリ!広島ブログ・ランキング参加中!
posted by fuuen at 00:30| Comment(0) | TrackBack(0) | モノツクリの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月19日

寺尾銀山

terao2.jpgterao.jpg

夢の跡・・・

棚田で有名な安芸太田町空谷から、林道をさらに奥に向かって走り、
途中から別れ、工事中のガタガタ道を進み、
トンネルを抜けると、そこが寺尾銀山跡です。

石見銀山と同じ頃の1300年代に入植したとの記録があり、
当初は地面に露呈した銀があったようですが、主に銅を産出しておりました。

中世には、千軒(大規模)集落に、劇場もあったくらいの賑わいでしたが、
今では、道端に精錬跡がポツンと残るだけ・・・
S53に最後の住民がこの地を去ったとの石碑がありました。

廃墟のような崩れかけた公民館には、
銀山の資料、集落の暮らし、土地を去る想いなどの資料が展示されていました。

う〜ん!

限界を超えて消滅した集落の姿はリアルであり、切なくもあり、
観光としては楽しいものではありませんでした。
http://www.harc.or.jp/iseki/12/p01.htm

棚田、炭焼、たたら製鉄、紙漉、麻、セン糊、革、漆、筏・・・
太田川上流域には、消えた集落が他にもあるみたいです。

されど・・・
生きる為の交流があったのは事実で、
太田川下流域のモノツクリ産業として受継がれています。

今、手仕事や中間山地のあり方を考えています。

PS
風炎窯から、
北西の百々山の向こうに寺尾銀山跡、南の猿彦山にも銀山跡があり、
西300mには弥生遺跡もあります。

まあ〜その〜
風炎窯が遺跡になる前に、歴史に残る陶芸作品を買っておいてくださいね。

ブチクソ切ない・・・

広島ブログ
ナマ情報のテンコモリ!広島ブログ・ランキング参加中!
posted by fuuen at 08:28| Comment(0) | TrackBack(0) | モノツクリの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月09日

製鉄の跡

IMG_6032.JPG

「山奥に集落・製鉄の跡」
本日の中国新聞の朝刊記事で、専門家の佐々木正孝さんが案内をされています。

とてもオモシロイ内容です。

私も拙いながら「太田川クラフトフェスタ」の地域貢献の一環として
流域のモノツクリの歴史を調べています。

今回の遺跡に「棚田」「寺尾銀山」を加えた探検ルートを作って、
先日、広島市立大学の金属造形工芸科の教授に提案させて頂いたところです。
http://www.fuuen.com/OCF/rekisi/tuor08.htm

まあ〜その〜
観光地化されていないマニアックな旅・・・

貴方も、太田川のモノツクリの源流を訪ね、未来を見つめてみませんか?
新たな発見があるかもしれません。

PS
柴木川は芸北八幡から三段峡へと下る太田川の支流です。
寺尾の現状は、後日お知らせいたします。

広島ブログ
ナマ情報のテンコモリ!広島ブログ・ランキング参加中!
posted by fuuen at 09:26| Comment(2) | TrackBack(0) | モノツクリの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月21日

空谷棚田

02soratani.JPG

安芸太田町には棚田がアチコチにあり、
休耕田や住民の高齢化などで限界集落として報道されています。

中世以来、太田川上流は「たたら製鉄」の一大産地であり、
棚田の開墾と砂鉄の採取は同時に行われていたようです。

その残土は太田川を下り、河口に「広島デルタ」を生成いたしました。

空谷のさらなる奥地には「寺尾銀山」があるのですが、人影もなく、
暮らしの限界を超えてしまった集落の残骸は、あまりにも切ない・・・

広島ブログ
ナマ情報のテンコモリ!広島ブログ・ランキング参加中!
posted by fuuen at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | モノツクリの歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。